昨日は小学校の学校評議員会でした

昨日は、小学校の学校評議員会だった。校長先生、教頭先生、教務主任、公務主任の先生と評議員5名とで学校の現状と評価などについて報告しあい、意見交換をする。
娘が小学校を卒業(僕もPTA会長を卒業)してから評議員を委嘱され、もうかれこれ4年目が終わろうとしている。

振り返ってみると、PTA(と地域)に関わりだしてから8年が経ったことになる。8年も経ったのか、8年しか経っていないのか。この8年のあいだにあった(やった?w)いろんなことを考えると長かったような気もするが、その割には、まだ8年しか経ってないの?という気もするから不思議だ。


8年前。
「学童の会長か、PTAの会長か、どっちかやってよ」と、いま考えればとても変な話なのだが、自営業の少ない転勤族の多い地域だということもあり、当時は学童保育所の親が続けて会長職を務めていて、ほかに会長を引き受けてくれるような男親も地域には見当たらないということもあり、ぼくに声がかかった。当時ぼくは地域にも学童にも学校にもなるべく関わらないようにひっそり暮らしていたのだが。。。というのも、当時勤めていた職場が忙しかったからだ。

話は12年前にさかのぼる。
いまの職場に就職したのが12年前だった。ぼくから見ればそれは惨憺たる職場だった。
カリキュラム、教員集団、職員集団、理事者集団、すべてがひどかった。ぼくの目には、まともなのは学生だけに見えた。と、この話は長くなるので、またいずれ書くことにしよう。

さて、ちょうど8年前は、カリキュラム改革を終え、ぼくが教務部長補佐から入試広報部長補佐に変わる時にあたる。つまり内部の改革の中軸であるカリ改革と学部改組(新専攻の設置)に目途がつき、さあ外に打って出ようというときだった。改革は始まったばかりだったが、枠組みが新しくなったことで、あとはある程度自然に教職員の意識は変わっていくことが期待できた。その意味では、一仕事終わったという気持ちもあった。もちろん、次は外に打って出なくてはならず、それはそれで大きな仕事になるだろうとは思っていた。

結局、入試の仕事とPTAと両方並行してやることになるのだが。。(しかも、職場ではもちろん入試の仕事だけではなくて、情報センターの立ち上げと新図書館建築の仕事も並行してやっていたし、PTAだけじゃなくて地域(学区改革)が念頭にあったので地域の中のPTAという位置づけでいろんな意味で地域にも首を突っ込んだ。)

最初の年は副会長。入試の仕事で出張も多かったが、ノルマとされている会議には基本的に出席した。(黙って観察していた)

2年目から3年間、娘の卒業まで、会長職を勤めることになった。
依然として、職場の仕事が忙しく出張も多く、母代(副会長)さんから携帯に電話がかかってくるときは決まって金沢だったり、福井だったり、九州だったりした。たいてい飲んでるとかかってきて、酒席をはずれて30分くらいしゃべっていたような気がする。(笑)

会長1年目。当時の子ども会長さんが子供のための企画をやりたいとしきりにアプローチしてきて(というか熱い思いを語ってくれて)、ほかの役員のお母さんたちはあんまりその話には乗って欲しくなさそうな様子だったのだが、そういうなんとなくノルマで一年の役員任期が平和に終わればありがたいというような雰囲気もぶち壊したかったので(笑)、年度末にイベントをぶち上げるぞと、確か年末あたりにこの話をぶち上げた。

メモを残してないのですべて記憶に頼ることになるのだが、確か、1月の運営委員会や全委員会で3月の卒業式直後にイベントをやりますという話を提案した。

これが、「ひらきたわくわくフェスタ」だったかな?(名称忘れたw)として結実する。
ちょうどぼくが会長であるのと同時期に校長先生を務められた先生が立派な方で、先頭に立って協力してくださった。
一日、小学校をまるごとイベント会場にしちゃおうというのがコンセプトで、校長室は和服姿の役員さんと校長先生がお茶を立ててお茶会の場に変身。まあ、あとは体育館やら特活室やら使える部屋は使えるだけつかって、本格的いらいら棒やら、ストラックアウトやら、絵タイル焼きやら鉢植えやら、バレー部のお店やら、子ども会のお店やら、フリーマーケットやら、一日中学校で遊びまくった。小学校児童の9割ほどと親たちが参加する一大イベントとなった。

朝、体育館でお菓子まきでスタートという予定だったのだが、前日ぼくは夜中3時ごろまで飲んだくれていて、二日酔いでスタート5秒前に到着するという離れ技をやってのけたのだが(というか役員のお母さんたちは、あきれるやらひそかに怒っているやら大変でしたが。。w)、体育館の熱気はすごかった。朝から体育館が満杯だったことだけは憶えている。

忘れもしない、その夜の打ち上げの飲み会で「会長は、こんな大変なことになることがわかっていたのにやったんですかっ!」と役員のお母さんたちに厳しく詰め寄られた。

PTA役員のお母さんたちは、本当に大変だったのだ。子ども会は会長以外、他人事みたいなところがあったし、結局すべて縁の下では、PTA役員のお母さんたち(精鋭揃いだと思ったからやったんだけどねw)が支え、しんどい仕事はすべてそこに回ったからだ。

「すみません。全部わかってました。最初に提案するときに、本当にやりますか?と何度か念を押して聞いたのはそのためです。すべてがぎりぎりのタイミングでのスケジューリングも含め、すべてが確信犯でした。今年の役員のお母さんたちならやれるし、今年しかできないと思っていました。」

次の年、PTA改革のために役員さんの多くが残留してくれた。

それから2年間、目立たないけれど、コミュニケーションをキーワードに全員参加のPTAづくりに取り組んだ。

親と子とのコミュニケーション、親同士のコミュニケーション、親と教師のコミュニケーション、そして、PTAと地域のコミュニケーション。とにかくコミュニケーション不足がコミュニティの地盤沈下を招いていると思ったからだ。

学区恒例の夏祭りも最初の年(ぼくが副会長のとき)は、役員だけでノルマのように駄菓子屋をやっていた。この時間だけ店番お願いしますと言われた。8年前、祭りの参加人数は最低だった。8時過ぎにはもうほとんど人がいない。お店は暇。というより、あんまり人が来ないほうが大変じゃなくてかえっていいというような空気すら感じた。

で、会長になって最初の夏祭り。わくわくフェスタなんてまだ思いついてもいない時期の話だ。
とにかく、親をひきずりだしたい。PTAにも地域にも、親をひきずりだしたい。夏祭りも学区の高齢のイベントになっているような感じがしたし、もっと子供たちを、そして若い親をひきずりだしたい、そう思った。学区の会議などで、PTAや子ども会がまるで下働きのような扱いをされているような感じも、ノルマさえやってればいいのよという空気に拍車をかけているような気がした。(全部ぼくの主観です。偏ってます。気になさらぬよう。>関係者の方々)

で、夏祭りでは、駄菓子屋だけじゃなくて生ビールをやりたいと提案した。まずはPTAの役員会、運営委員会、全委員会で検討してもらった。こどものための企画をやるべきだという意見に対し、PTAは「ペアレンツ&ティーチャーズ・アソシエーション」なんですよ。「親と教師の会」です。子供のための大人の会なんです。大人が出てこなきゃ、子供のために何もしてあげられないじゃないですか?と答えた。

会長さんと副会長さん(この年から男性二人に副会長をお願いしていた)が飲みたいだけでしょとか言われながらも、意図は伝わったようで、PTAは生ビール企画にオッケーをくれた。
ただし、話は膨らんで、子供のために大人をひきずりだすんだから子供のための企画もやらなきゃということになり、バルーンアートをやることになった。

それから役員会やら会議のたびに、特活室からは風船の割れる音がひっきりなしに聞こえ、しまいには、校長室からも風船の割れる音が聞こえ始め、校長室には、子供が入り浸り、バルーンアートの作品が学校中にあふれた。(当時の役員さんはみんなバルーンアート作れます。もちろんぼくも作れます。大道芸で食っていけます(嘘)。)

これで、夏祭りの成功は約束されたと思った。夏祭りに向け、バルーンアートがブームになったからだ。PTAのお店は去年までの寂しい駄菓子屋に比べればだいぶ盛り上がった。子供たちとお母さんたちがバルーンアートで楽しく過ごせたからだ。

だが、生ビールを飲みにくる男親はそれでも少なかった。。。。

でも、楽しく過ごせたのがよかったようで、次の年はサッカーワールドカップの年だったので、フェイスペインティングを、その次の年は昔のおもちゃを扱った。
ちなみに、生ビールは年々お客が増えている。その後、親の会、学童へとPTAの手を離れてしまったが。。。(もったいない)

ついでに、夏祭りのチラシを中学校にも配ってもらい始めたのもこのバルーンアートのときからだ。以来、年々、夏祭りの参加者は確実に増えている。とくに中高生と若い親が増えている。もちろん他の層も増えているが。。

夏祭りは、土日と2日間の開催だが、ここ数年は、両日とも夜9時の終了時点で、人が公園いっぱいにあふれている。

もちろん実行委員会の並々ならぬ努力があってこの盛況ぶりなのだが、生ビールと中学校へのチラシ配布をきっかけに、夏祭りの活性化に一役買った功績も忘れないでいただきたい。

さて、この8年間を振り返ろうと思って簡潔に書こうと書き始めたのだが、だいぶ長くなってしまった。まあ、ぼくにとっては、すべては8年前に始まった。(当たり前の話だが。。。w)

この8年間を今後の学区はどう評価し、どう受け継いでいくのだろうか。というか、小学校の評議員会の話でしたね(笑)。小学校は、よい先生方に恵まれ、今の課題は親のコミュニケーションの底上げですかね。さあ、子ども会もどうするかな〜ぁ。(直接は関係ないんだけどw)

また気が向いたら書きます。